2005年8月11・21日号(第509号)

最後までたたかい抜く決意を確認〜2005人勧期第5次中央行動〜

公務員連絡会、人事院の誠意ある回答迫る

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公務員連絡会は、人勧期闘争最終盤の8月2日、第5次中央行動を実施し、人事院に対して誠意ある回答を迫った。この行動は、7月22日の第4次中央行動時の交渉で人事院の回答が極めて不満な内容にとどまったため、さらに行動を強化する必要があるとの認識に基づいて実施されたもの。

各構成組織は、この中央行動に合わせて職場集会や人事院への要請打電など、第4次の全国統一行動を実施した。

この行動を背景に行われた書記長クラスと人事院給与局長との交渉では、

  1. 一時金は微増となるものの本年の官民較差がマイナスとなること
  2. 地域給与・給与制度見直し勧告・報告は行うことを前提に最終作業を行っていること

などの厳しい回答が示された。これに対して公務員連絡会は、最終の総裁交渉で要求を踏まえた誠意ある回答を示すよう強く求めた。

午後3時から日比谷大音楽堂で開かれた中央決起集会には、全国の仲間3000人、京都からも12人が参加した。冒頭、丸山議長は「人勧期の闘いの最終場面を迎えているが、人事院は今年地域給与や給与制度見直しの勧告を行う決意を固めている。勤務実績反映の給与制度の問題をはじめ、多くの課題についてわれわれ側の闘う決意としっかりした対応が求められている。公務員連絡会は、総裁交渉のギリギリの段階まで人事院の誠意ある回答を求めてがんばる」と決意を表明した。

続いて山本事務局長が基調報告、本日の給与局長交渉に臨む姿勢を報告した。構成組織の決意表明の後、丸山議長の音頭で団結がんばろうを三唱して集会を終えた全参加者は、人事院前に場所を移して交渉支援行動を実施。2005人勧期最後となる怒りのシュプレヒコールをあげた。

心の病、周囲の理解が必要〜労働安全衛生月間〜

メンタルヘルス学習会を開催

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府本部は労働安全衛生月間の取り組みとして、7月25日にメンタルヘルス学習会をホテルセントノーム京都で開いた。講師は(財)京都工場保健会の山根英之さんにお願いした。

年々仕事や職場生活に関する強い不安や悩みを持つ労働者は増えている。自殺者は3万人を超え、交通事故の死亡者(七千人)の約3倍であることを考えると、心の健康は労働組合にとっても重要課題となる。

「職場委員・執行委員に望むもの」とのアンケートには「コミュニケーション」が44.2%でトップとなった。心の病は特別ではなく、基本的には身体の病気と同じで放置したりせず、周囲が理解し回復や再発防止に心がけることが大切だ。

当日は、簡単なチェックシートでストレスの蓄積度を判定。周囲の人が気付くサイン「けちな飲み屋」の解説があった。※ケ=欠勤・チ=遅刻早退・ナ=泣き言をいう・ノ=能率の低下・ミ=ミス事故トラブル・ヤ=仕事をやめたいと言う

予防としては、やはりコミュニケーションの取れる環境づくりと、いたわりの気持ちで一声かけること。安易に励まさず状況を把握して、調子が悪そうだと感じたら率直に専門医を進めることも必要とのこと。

今回は、基礎的な学習となったが、今後はケーススタディによる学習を含めた取り組みへの要望があった。

連合京都への対応について

自治労3役員を辞任

府本部は、これまでローカルセンターとして連合京都の運動を積極的に推進し、他産別とも信頼関係を築いてきました。また、地域協議会においても中心的役割を果たすなど地域における労働運動の確立に貢献しています。

しかし、連合京都の執行部は、機関決定を行うにあたって、自治労を含めた他産別からの反対意見があるにもかかわらず、一方的な決定を行いました。構成組織の意見を無視する連合京都の運営手法に対し、産別として責任が持てないこと、また連合京都に改革を求めるために、自治労選出の役員3人は辞意を表明するとともに、府本部は当分の間、要請等には応えないなど距離を置いた対応とすることとしました。

関連する諸行動については自治労京都府本部として判断し対応します。

【辞任した役員】

副会長   木村 幹雄

副事務局長 北村 喜一

執行委員  谷口富士夫

戦争と核の恐ろしさ継承を

被爆者の声聴き決意新たに

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広島、長崎に原爆が投下されて60年。私たちの核兵器廃絶の運動に反して、核開発・核武装を進める国々は後を絶たない。このような状況のもと、京都平和フォーラムは8月2日、「被爆60年、いま、被爆者の声を聞こう!京都のつどい」をハートピア京都で開催。反戦平和、核廃絶へ決意を新たにした。

自らの体験を語ったのは、広島城内の陸軍施設内で被爆した三好杢平さんと、広島電鉄の電車内で被爆した米沢鐡志さんの2人。三好さんは死を覚悟した被爆の瞬間や、周囲で多くの人々が息絶えた状況を語り、戦争の恐ろしさ、教育の恐ろしさを訴えた。

米沢さんは、疎開先から広島市内の自宅へ向かう途中に被爆。満員電車で被爆が少なかったこと、井戸水を飲まなかったこと、黒い雨を避けたことなどで急性放射線障害から回復できたことを説明。しかし一緒にいた母は1カ月後に他界、被爆した母の母乳を飲んだ妹も2カ月後に死亡した事実を告白、放射能がいかに恐ろしいかを切々と語った。さらに在日韓国・朝鮮人の死亡率が高かった事実は、被爆地に停留させられた朝鮮人差別の実態を浮き彫りにした。日本政府は中国や朝鮮で犯した罪を充分に謝罪していないと批判した。

 参加者は戦争の恐ろしさを次の世代に語りついで行く必要性を痛感した。

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